紅葉の錦
週末ランナーのKazuさんが、いつも走っているルートの途中、きれいに紅葉している木があったよと教えてくれましたので見に行ってきました。
自宅から車で10分ほどのところです。
とてもきれいに色づいていました。

陽の当たり方によるものでしょうか、赤・黄・緑のグラデーションが絶妙です。
木の下から写してみると

沢山の色が入り乱れて、まるで美しい錦の織物のようです ✨
百人一首の24番 菅家(菅原道真:すがわらのみちざね)作の歌中でも、美しく色づいた木々が「紅葉の錦」という言葉で表現されていますね。
このたびは幣(ぬさ)もとりあえず手向山 紅葉の錦神のまにまに
~今度の旅は急なことで幣の用意もできませんでしたが 手向山の紅葉を捧げますので神よ御心のままにお受け取り下さい~
この歌は道真の才能を買って右大臣にまで取り立てた宇多上皇の宮滝御幸(宮滝は現在の奈良県吉野郡吉野町)の時に詠まれた歌でした。この898年(昌泰元年)の御幸はとても盛大なものだったようで、道真ら歌人も多数同行し、多くの歌が残されたそうです。
旅の途中、道ばたの道祖神にお参りする時に、今回は幣(ぬさ=きれいな紙切れや布切れ)ではなく美しく色づいている紅葉を捧げますので神様どうぞお受け取り下さい、という歌です。
上皇ご一行が見た吉野の山の紅葉は、錦さながらに美しかったのでしょうね。幣の代わりに紅葉を捧げられた神様も、さぞお喜びになったことでしょう。
晩秋の気配もいよいよ濃くなり、紅葉の名所はどこも大勢の観光客でにぎわっているようですが、近所でこんなに美しい紅葉が見られてプチ旅行気分を味わえました 😃

菅家(菅原道真 すがわらのみちざね 845~903)は平安時代を代表する歌人であり、学者、漢詩人、政治家。忠臣として名高く、宇多天皇に重用され、35歳の若さで最高の権威・文章博士(もんじょうはかせ)となり、54歳の899年には右大臣にまで上り詰めた。しかし藤原時平の謀(はかりごと)により九州・大宰府に左遷され現地で没した。