秋風にたなびく雲の絶え間より...

旧暦9月13日に行うお月見を「十三夜」と言うそうですね。

先の土曜日はちょうど十三夜でした。こちら地方ではお天気に恵まれ、明るく綺麗なお月さまを眺めることができました。

十五夜の月見から約一月、この数日の冷え込みで一気に秋が進んだ気がします。

澄んだ空に懸かるお月さまを見上げたら、百人一首の79番 左京大夫顕輔(藤原顕輔:ふじわらのあきすけ)の歌が心に浮かびました。

秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出づる月の影のさやけさ

 ~秋風に吹かれてたなびいている雲の切れ間からもれ出てくる月の光は、なんと明るく澄み切っていることよ~ 

十三夜の月と木星(月の左上)

秋の澄みわたった夜空を流れていく雲。その隙間から洩れてくる月光の明るさ、美しさ。
変化に満ちた秋の夜空がまるで動画のように浮かび上がります。

平安時代の和歌は秋の月を物悲しいものとして表現するのが定番でしたが、顕輔は感情を全く入れず、シンプルに情景の美しさをありのままに表現しています。
体言止めの「さやけさ」の語感が、なお一層余韻を誘います。

この歌は久安6年(1150年)に崇徳院に捧げられた百首歌「久安百首」で披露されました。
(「百首歌」というのは、いくつかのお題に沿って詠んだ歌を100首集めたもの)

作者の藤原顕輔は当時、歌学の大家として歌壇に君臨する「六条藤家」(ろくじょうとうけ)の主でした。

一方百人一首の選者 藤原定家もまた、大歌人の父藤原俊成を継ぎ、名門「御子左家」(みこひだりけ)の主となります。

伝統を重んじる保守的な六条藤家と、革新的な歌風の御子左家。
現代と違い王朝時代は和歌こそが文芸の中心で、歌人は本当に歌に命を賭けており、職業歌人たちの家同士の対立も深刻でした。

そのような状況にあっても、定家は流派を超えてこの歌を採っています。
澄んだ空に煌々と浮かぶ月ではなく、雲間から洩れ出る月影のさやけさを愛でるという繊細な美の表現を、敵ながら良しとして評価したのでした。

夜空を見上げれば、いにしえの歌人たちも眺めた月が今日も掛かっています。
変わることのない優しい輝きが、このように美しい歌に残っていることを、しみじみと有難く感じます。

左京大夫顕輔(本名・藤原顕輔 1090~1155)は父顕季を祖とする歌道家「六条藤家」の二代目で、時代を代表する歌人。堀河・鳥羽・崇徳・近衛の4代の天皇に仕え、正三位左京太夫(京都の左半分を治める役所の長官)にまで昇進。勅撰和歌集「詞華和歌集」の選者になり歌壇を牽引した。