久方の光のどけき春の日に...
久方の光のどけき春の日に 静心なく花の散るらむ
~こんなに光がのどかでゆったりした春の日に、なぜ桜は落ち着かない様子で散っているのだろうか~
こちら地方では先週桜が満開になり、昨日あたりからすでに散り始めています。
タイトルの歌は毎年この季節に必ず思い出される、百人一首の33番、紀友則作の一首です。
百人一首の中でも最も知られた歌の一つですね。
口ずさめば、まるで桜の花びらが舞い落ちる様子が目に浮かぶようです。この歌からは春の陽ざしの透き通るような明るさや暖かさが感じられます。
春のおだやかな空から落ち着かない様子で舞い落ちる桜。
今まさに散りゆく花びらのように、人もまた次々と生まれては死んでいく。こんなにものどかな天地の間に、おだやかな心も持たずに。
この歌に心を打たれるのは、はかなく散りゆく桜を見て、私たちもまた無意識のうちに人間の存在のはかなさを感じているからかもしれません。
さて、桜のお歌をもう一首。
世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
~もしも世の中にまったく桜がなかったら、春を過ごす人の心はどれだけのどかでしょう~
言わずとしれた日本文学史上の大スター在原業平様のお歌です。(ちなみにこの歌は百人一首には入っていません)
確かに毎年この時季は、そわそわとなんとも落ち着かない気持ちで毎日を過ごしています。
千年前も現在も、私たちの心のありようは存外違わないものなのですね。
紀友則(出生年未詳~905年)は平安時代の歌人で、土佐日記の作者 紀貫之(868~945)のいとこ。若いころは無官で、40歳を過ぎて初めて内記(詔勅などの文案を作り、宮中の記録の管理を行った中務省の役人)に任ぜられた。のちに貫之らとともに「古今和歌集」の編纂にあたるが完成前にこの世を去った。